2024年07月03日
【那覇市】ゲームインナハ
※2012年6月17日撮影
※2012年7月20日閉店

沖縄のゲームセンターの老舗「ゲーム・イン・ナハ」。
那覇っ子は「インナハ」と呼んでいた。
残念ながら、写真は閉店前に撮ったこの1枚しか残っていない。
2000年代にハードディスクの損傷により古い画像をすべて消失してしまった…。
(トロンや夢咲など貴重な写真がたくさんあったのに…)
初めてインナハに来たのは、おそらく5~6歳だったと思う。
写真の赤い自販機の後ろにある出入口、インナハ後期は閉じていたが、それ以前はここからも出入りできた。
ちょうどそこから入った場所に、ナムコのレースゲーム「ポールポジション」があり、それを幼い時に見た記憶がある。
それ以降は引っ越して来店することはなく、再び訪れるようになったのは中学生の頃。
人生で初めてのカツアゲもインナハ(のトイレ)だった
(コロス)
次に思い出深いのは、初代バーチャファイターが導入された時。
壁際に4台設置されていて、対戦で盛り上がっていた。
それを上回る盛り上がりを見せたのが、バーチャファイター2。
壁際4台だけでは追い付かなかったのか、その手前(店中央辺り)にも追加で2台導入された。
常に満席だし、上手い人だらけだしで、あまりプレイできず見学が多かった。
バーチャファイター3の頃は県外にいた為、状況はわからず。
県内に戻ってきた時はバーチャファイター4が導入されており、バーチャ2の勢いを取り戻すように盛り上がっていた。
インナハで大会もあって自分も参加したことがある。
(2回戦落ち…)
失速したのは、初期のバーチャ5。
インナハにも導入されていたが、バーチャ2や4と比べるとそれほど盛り上がっていたような感じはなかった。
ただ、これはゲームだけのせいではなく、熱中していた世代が社会人になり、引っ越したり、家庭を持ったりで環境が大きく変わったことが大きいと思う。
閉店前にも何度かインナハに行ったが、夜は満杯になるほど人が溢れていた時代と比べると、明らかに客数は減っていた。
ある日、友人とインナハに行った際、帰り際に店の前にオーナーのMさんがいた。
Mさんと友人で少しばかり話をした後、
ポツリとMさんが言った、「みんな、どこに行ったんだろうねぇ」という言葉と、少し寂しげな顔が忘れられない。
#沖縄のゲーセンクロニクル
※2012年7月20日閉店

沖縄のゲームセンターの老舗「ゲーム・イン・ナハ」。
那覇っ子は「インナハ」と呼んでいた。
残念ながら、写真は閉店前に撮ったこの1枚しか残っていない。
2000年代にハードディスクの損傷により古い画像をすべて消失してしまった…。
(トロンや夢咲など貴重な写真がたくさんあったのに…)
初めてインナハに来たのは、おそらく5~6歳だったと思う。
写真の赤い自販機の後ろにある出入口、インナハ後期は閉じていたが、それ以前はここからも出入りできた。
ちょうどそこから入った場所に、ナムコのレースゲーム「ポールポジション」があり、それを幼い時に見た記憶がある。
それ以降は引っ越して来店することはなく、再び訪れるようになったのは中学生の頃。
人生で初めてのカツアゲもインナハ(のトイレ)だった

次に思い出深いのは、初代バーチャファイターが導入された時。
壁際に4台設置されていて、対戦で盛り上がっていた。
それを上回る盛り上がりを見せたのが、バーチャファイター2。
壁際4台だけでは追い付かなかったのか、その手前(店中央辺り)にも追加で2台導入された。
常に満席だし、上手い人だらけだしで、あまりプレイできず見学が多かった。
バーチャファイター3の頃は県外にいた為、状況はわからず。
県内に戻ってきた時はバーチャファイター4が導入されており、バーチャ2の勢いを取り戻すように盛り上がっていた。
インナハで大会もあって自分も参加したことがある。
(2回戦落ち…)
失速したのは、初期のバーチャ5。
インナハにも導入されていたが、バーチャ2や4と比べるとそれほど盛り上がっていたような感じはなかった。
ただ、これはゲームだけのせいではなく、熱中していた世代が社会人になり、引っ越したり、家庭を持ったりで環境が大きく変わったことが大きいと思う。
閉店前にも何度かインナハに行ったが、夜は満杯になるほど人が溢れていた時代と比べると、明らかに客数は減っていた。
ある日、友人とインナハに行った際、帰り際に店の前にオーナーのMさんがいた。
Mさんと友人で少しばかり話をした後、
ポツリとMさんが言った、「みんな、どこに行ったんだろうねぇ」という言葉と、少し寂しげな顔が忘れられない。
#沖縄のゲーセンクロニクル
Posted by ちむどん。 at 00:50│Comments(0)
│沖縄のゲーセン写真
コメントは承認後に表示されます